サイババの講話【食べ物と健康と霊性修行】の全文掲載と要点をわかりやすくまとめてみた!

『狭量な心や、狭い了見に余地を与えてはなりません。他者を傷つけず、害さない方法で身を処するよう努めなさい。そうして初めて、あなたは自分自身と自分の存在を神聖化することができるでしょう』
 
 
この言葉で締めくくられる話は、サイババが設立した治療費が一切かからない病院で行われた講話の内容です。サイババが健康と食べ物について語った貴重なご講話です。
 
 
食べ物と健康がどうして大切なのか?明快な真実として語った貴重なサイババのお話を、要点をまとめた上で全文を掲載します。
 

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◆サティア・サイババとは → ウィキペディアを見る
 
本名、サティヤ・ナーラーヤナ・ラージュ。サティヤ(SATHYA)とは真理を、サイ(SA-AI)は神聖にして母なる神を、ババ(BABA)は父を意味し、サティヤ・サイ・ババとは「私たちの真の父母」という意の敬称。インドの教育指導者、社会奉仕者、人道的活動家であり、多くの要人も聖者として認める霊的指導者。人種、宗教、国籍、経済状態に関わらず、すべての患者が心臓切開手術や腎臓移植手術、精密検査などを無料で受けられる病院や、子ども達が優れた人格と適切な道徳観、倫理観、霊的なものの見方をもち、将来理想的な市民となるように、小学校から高等教育までの一貫教育を無料で提供している他、困窮層への奉仕として水道設備やインフラ設備の供給といったサイ・ババの社会奉仕事業が世界各国で高く評価されている。
 
 
霊的指導者という立場からは、人間の本当の姿とは何か、人生の目的とは、目的を達成するための方法とは何かについて、わかりやすく説いている。サイ・ババの真骨頂は、さまざまな奇跡現象にあるのではなく、その教えの深遠さと、教えに沿った愛と奉仕の活動にある。

 
 
◆サティア・サイ・オーガニゼーション公式ページ→http://www.sathyasai.or.jp/
 
 
最高神の化身とされるサイババが健康と食べ物ついて語った貴重な講話が1983年10年になされました。その時の講話をサティ・アサイ・オーガニゼーションが翻訳をしてまとめたものを転載させてもらいました。
 
 
本文はとてもわかりやすく翻訳されていますが、古来インドの言語「サンスクリット語」やインド人へ向けた内容の話なので、初めてサイババに触れる方にはわかりずらいかもしれません。そこで先にこの講話の要点をまとめてみました。
 


 

■サイババの食べ物と健康についてまとめ

*ここでは食べ物と健康についてのみまとめておきます。

・地球上の生き物で数多く病気になるのは人間だけである
・その原因は、味覚の欲に溺れた調理によって、生気がない食べ物ばかりを食べているから
・健康はすべてにおいていちばん大切なこと
・神が作った食べ物をなるべくそのままの状態で食べれば病気はなくなる
・神が人間に食べ物として与えたものは植物のみである(他の講話から)
・必要最小限をお腹が空いたら食べなさい(他の講話から)
・健康は僕らが至福と歓喜を体験するために必要なこと

 
 
それでは、さっそく本文をご覧ください。
 
 
愛の化身である皆さん!
 
 
今、この私たちの世界では、人は言葉では言い尽くせないほどの富を楽しみ味わうことに浸っています。しかし、ひょっとしたら遭遇できる可能性のある、あらゆる種類の富の中で、皆さんがこれぞ最も価値ある財産であるとわかるもの、それは健康です。「健康は財産なり」と言われています。健康でない人は、ことによると、最もささいな冒険にすら成功することはできません。
 
 
同様に、この世でも、この世を超越した世界でも、その両方で最も必要なものは、健康です。人は、例えようもないほどの財産とお金を所有すること、権威ある地位や重要な地位を有することができます。しかし、もし健康でなければ、当人は地位も権威も富も、取るに足りないものと見なすことでしょう。
 
まず健康である場合に限って、人は富を良い目的に使う立場でいられるのです。
 
 
ダルマ、アルタ、カーマ、モークシャ(人生の四つの目標、プルシャールタ)という人間の責任を果たすためには、健康が不可欠です。最初の三つ、ダルマとアルタ〔富〕とカーマ〔欲〕はこの世に属しています。しかし、モークシャ、すなわち解脱は、この世を超越した世界で訪れるものです。人生の第一の目的、あるいは目標は何でしょうか? それはカイヴァッリャ、すなわち解脱です。解脱は人間の目標であり、運命であり、人間という存在の神秘そのものです。あなたは重要な地位に就いて、自分が夢見ていた以上の富を得て、責任と権威を有しているかもしれません。しかし、あなたが自分の目的地に到達できない限り、それらは無益です。
 
 
*ダルマ(人として正しい行いのこと)
*アルタ(富、財産)
*カーマ(欲望)
*モークシャ(解脱のこと→輪廻転生から脱して魂の次のステージへ進むこと)
 
 
人間は、五つの鞘(さや)、すなわちコーシャ(鞘)を有して生まれてきます。その五つとは、アンナマヤ・コーシャ〔食物の鞘〕、プラーナマヤ・コーシャ〔生気の鞘〕、マノーマヤ・コーシャ〔精神の鞘〕、ヴィグニャーナマヤ・コーシャ〔叡智の鞘〕、アーナンダマヤ・コーシャ〔至福の鞘〕です。この五つのうち、三つは肉体に属し、二つはこの世を超越した世界に属しています。その二つを見分けることはできません。皆さんがこの世とこの世を超越した世界で探求しようとしているものは繋がっており、切り離せないものです。
 
 
私たちは神をサット(絶対実在)・チット(純粋意識)・アーナンダ(至福)と呼びます。
 
名と姿という一時的で束の間の媒体を通して、人は持続する永遠のサット・チット・アーナンダを体験することができます。地上における人間の存在の総体は、アンナマヤ(食べ物)、プラーナマヤ(生気)、マノーマヤ(精神)という三つの鞘が一体となったもので構成されています。皆さんはそうした人間の存在次元を乗り越えて、神と一つになるまで上昇していきます。そのためには、ヴィグニャーナマヤ・コーシャ(叡智の鞘)とアーナンダマヤ・コーシャ(至福の鞘)の助けが必要になります。この彼方の目標を前方に定めない限り、この世での存在は無意味なものになります。なぜ健康を守り、保持する必要があるのでしょうか? それは、あなたのこの世での存在のためではなく、アートマーナンダ〔真我の至福〕を体験するためです。
 
 
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この世界には多数の生命体が存在しています。それらの生命体は840万種に分類されます。そのうちの839万9999種は、未調理の食物を食べる傾向にあります。それらの生命体は、自然なままの、自然界で入手できる食物を食べ、完全な健康を享受しています。しかし、もちろん、気候の変化や、自分では制御しきれない要因のために、これらの生命体も病気にかかることはあります。
 
 
とはいえ、最も多くの問題にさらされているのは人間だけです。人間に関しては、かなりの数の病気が増えています。その理由は、人間が神の創造物である食物、自然の状態で手に入る食物を食べることを好まないからです。人間は味蕾(みらい)〔舌の粘膜にある無数の味覚器官〕の餌食になっています。人間は、そのまま利用できるものを何でも自分の味覚に合わせて変えてしまい、その中に含まれている生命の精を殺しています。今、人間は食物の中に存在する生気を与える力を完全に破壊しているせいで、増え続ける病に身をさらしているのです。もし食物を自然のままの状態で食べようと努めれば、決して増加する病に身をさらされることはないでしょう。

 
 
頭を見てごらんなさい。あなたが「頭痛の原因は何でしょうか?」と質問したとします。非難されるべきは頭ではありません。調子が悪いのは胃なのです! 皆さんが有しているさまざまな器官は、すべてこのような状態です。胃こそが重要な鍵なのです。胃は、何でも与えられたものを消化して、そのエキスをあらゆる器官に供給します。胃に授けられているこの消化力は、実際のところ、神から与えられたものです。そういうわけで、人は神を崇めて礼拝するのです。
 
 
事実、神は消化力として生物の中に宿っており、それが体内のあらゆる生命過程を支配し、動かしているのです。そのような神に対して、あなたが捧げて贈るべきものは何でしょう?
 
神(胃)には、人間が作ったものではなく、神が創ったものが贈られるべきです!

 
 
ですから、何であれ自然のままの状態で食べられるものは、神が創造した世界に、神によって与えられたものですから、それをあなたの胃に与えたいということであれば、万事申し分ありません。
 
 
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食べ物というものは、実際は何を意味しているのでしょう?
 
人は米や果物や野菜といったものを食べ物と見なしています。この世界であなたに見える可能性のあるものは、何であれ食べ物です。そして、その食べ物を味わって摂取している生き物も、同様に一種の食べ物です。つまり「食べ物が食べ物を味わっている」ということです。動物や獣も一種の食べ物です。そして、獣も他の何らかの動物を自分の食べ物として摂取しています。食べ物が食べ物を食べているのです。
 
 
サットウィック・フード〔浄性の食べ物〕の特質とは、浄性な属性に満ち、人をダルマ(人として正しい行い)の道に置く、というものです。一見したところ異なる存在のように見えるこの三つ(ダルマ、アルタ、カーマ)が一つに結びつけば、四番目のモークシャ〔解脱〕を手に入れることができます。皆さんは、結婚式や婚儀といった宗教的な儀式で、儀式を司る僧侶がマントラ*を唱えているとき、ダルマとアルタとカーマに言及するのに気がつくでしょう。
 
 
そうした僧侶たちはモークシャという言葉は口にしません。その理由は、もしダルマとアルタとカーマにかかわる、なすべきことを正しい方法で体験し、成し遂げるなら、モークシャは自ずと訪れるからです。ところが、人はモークシャを心に留めてはいますが、ダルマとアルタとカーマに関してはすっかり忘れているため、ダルマとアルタとカーマに関してなすべきことを何もしていないのです。
 
*サットウィック(浄化された性質)
*ダルマ(人として正しい行い、規律)
*アルタ(富、財産)
*カーマ(欲望)
*モークシャ(解脱)
*マントラ(真言→あるチカラをもった言葉)
 
 
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人は、この最初の三つに関して、自分の責任と義務を適切な方法で果たしていません。人はモークシャ(解脱)を求めます。どうすればモークシャは自分のものになるのでしょう? モークシャの特質とは何ですか? ダルマの道を歩んでいる間に、人はアルタ、つまり富を求めます。ダルマの道を歩み、正当な手段でアルタすなわち富を手に入れることで、人は第三ステップである欲望や熱望へと至ります。そこでも、それらにはダルマの要素が染み込んでいなければなりません。
 
 
ダルマ(人として正しい行い)に欠ける富とダルマに欠ける欲望は、あなたをモークシャ(解脱)の確保を手に入れるに値する人間、あるいはそれを願うに値する人間にすることはできません。もし、ダルマとアルタとカーマがしかるべき方法で果たされていたなら、人間は今のように、増加するストレスや、疾患や、さまざまな病気にさらされることはなかったでしょう。ダルマとアルタとカーマの三つを支配する主要なものは、この場合も食べ物です。
 
 
人は過食気味で、精神の混乱につながる種類の食べ物を摂取する傾向にあります。人が食べる食べ物には、限度が設けられるべきです。もし限度を超えるなら、必ず苦しむことになります。体を守り保護するためには食べ物が必要です。しかし、こうした食べ物でさえ、体の維持に必要とされる特質に基づいて摂取するべきです。もし限度を超えるなら、あなたの状態、あなたの体に、不調が起こります。
 
 
たとえば心臓です。心臓には血液を体の他の部分に送り出す能力があります。心臓はその機能を超えられません。神の創造物において、皆さんは体が自らの心臓のために一定量の力を必要とするのに気づくでしょう。心臓の有する方法や限度を超えて体を鍛えようとすれば、心臓は機能できなくなります。これが、心臓病が増加している原因です。人は自分の体を鍛えて巨大な岩のようにしたがります。哀れな心臓に何ができるでしょう? 教育を身につけた人々の間にさえ、この病気は大きな害を与えています。心臓病を専門とする医師たちでさえ、その犠牲者となっています。医師は、ありとあらゆる人に「健康は財産ですよ」と忠告を与えます。ところが、自分の体には忠告を与えていないのです!
 
 
たとえば、ある人が血圧の問題を抱えているとしましょう。その人は将来、糖尿病になります。その二つ、高血圧と糖尿病は、双子と見なすことができます。一方は他方の歩みに従うのです。さらに、そこには奇妙なことがあります。糖尿病の薬を飲めば血圧は上がり、血圧の薬を飲めば糖尿病はひどくなるのです。というのは、この二つは正反対の組み合わせであり、薬で減らしたり制御することはできないからです。この二つの病気は、ひとたび忍び込んできたら、追い出すのは大変難しいものです。
 
 
では、どうすれば治せるのでしょうか? 黄金の法則、すなわち最高の処方箋は、食餌療法です! 食べ物の摂取を制限しなさい、そうすれば、すべては良くなります。皆さんは体重を減らさなくてなりません。体は、山、すなわち堆積(たいせき)のようなものです。一ヶ月間毎日自分の家を掃いて塵(ちり)を集めれば、山になります。それと同じようにして、皆さんは不活性な肉体に、イドゥリやサンバル、ヴァダやドーサ〔いずれもインド料理〕といった食べ物の塵を積み上げてきました。一週間それらのどれも口に入れずにいなさい。そうすれば、体のサイズは目に見えて縮小するでしょう。
 
 
体はタイヤのようなものです。空気を入れればタイヤは膨らみます。空気を抜けばタイヤに特有の危険性はなくなります。しかし、タイヤに空気を入れ続ければ、タイヤが破裂する危険性が付きまといます! 安全なものにしておくほうがよいのです。
 
*食餌療法(しょくじりょうほう)→食事の成分・量などを調節することによって、病気の治療をはかり、あるいは病気の臓器を守り健康管理をはかること。
*インドでは恰幅のいいメタボ体系のほうが社会的にステイタスが高い、という風潮があるため必要以上に食べて太った人が多い。
 
 
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人は、高血圧と糖尿病はありふれた病気だと考えています。これは非常に間違った考えです。この二つの病気は大変危険なものです。これらの病気はどちらも心臓に影響を及ぼし、心臓に作用します。二つのうちの一つは心臓を肥大化させ、もう一つは心臓の周辺を肥大化させる傾向にあります。この二つの病気が併発すれば心臓は肥大化します。
 
 
血糖を正常な量にする要因は何でしょうか? インスリンです。インスリンが減少すれば、血糖値は上がります。血糖値は一定量でなければならないため、糖尿病患者はインスリンの注射を打つのです。血糖値が増減すれば、患者は意識不明になります。血液中の糖分を抑制するため、通常、医師は患者に小麦や他の穀物を摂るよう忠告します。食べたものは何であれ、すべて体内でブドウ糖になります。
 
 
この国(インド)の南部では米が多く食されています。それは南インドの人の習慣です。米を食べれば食べるほど、ブドウ糖の含有量も増えていきます。そのため、南部の医師たちは、米の代わりに小麦を食べるよう忠告します。南部の人は小麦を食べ慣れていないため、小麦をたくさん食べる気にはなりません。北部の人は一般に小麦を食べる傾向にあります。しかし、小麦を食べ慣れているという事実が北部の人を糖尿病と無縁にさせているわけではありません。北部の人はどのような食餌制限をすべきでしょうか? 北部の人は米を食べるべきです。そうすれば、食べる量が少なくなり、糖の含有量も下がります。中心になる考えは、食べ物の量を制限すべし、ということです。
 
 
過食は精神の混乱をもたらします。限られた量の食事は喜びと幸福を授けます。食事と個人的習慣は、本当に長寿を授けることができるのです。おそらく、あなたの持っている制御する力を超えた一定の状況があなたに苦悩をもたらすかもしれませんが、それ以外は、病気にかかる原因は何一つありません。
 
 
今日、人間が食べている物は、人間の活力を維持する本来の力をまるで持ち合わせていません。体を維持するにはビタミンとたんぱく質が必要です。あるビタミンは目に力を与え、視力を良くします。あるビタミンは血液を浄化し、補強します。三つ目のビタミンは骨を強くします。たんぱく質は絶対に必要です。たんぱく質、すなわちプロテインとは、「あなたを守るもの」(プロテクトするもの)という意味です。食物に含まれているたんぱく質を見てみると、未調理のものには大量のたんぱく質が含まれています。ムング豆、レンズ豆、大豆といった食用の豆類を例にとりましょう。
 
 
インド人はヒヨコ豆を誇らしげに「インドの大豆」と呼びます。ヒヨコ豆にはたんぱく質がかなり含まれています。ヒヨコ豆の食べ方は、水に浸して、噛むことができるほどになったら食べるというものです。そうすれば、その栄養素はあなたのところにやって来ます。ところが、味覚や舌、自分の嗜好、気まぐれや好みの餌食となったばかりに、人は何をしているでしょう? たんぱく質をすべて取り除いているのです。ヒヨコ豆をグツグツ煮ています。 油や他のいろいろな材料を加えて、ヒヨコ豆をさまざまな変化にさらしています。その過程で、ヒヨコ豆に元々含まれていたものを奪い、それらが人に与えることのできるものを奪っているのです。
 
 
果物を例にとりましょう。果物にはビタミンが含まれています。野菜もそうです。果物や野菜は皆さんにいくらでも力を与えることができます。しかし、人が今、摂取しているものは「人工のビタミン」と呼べるようなものです。そして、そのような野菜の人工的な形態を通して、あらゆる種類の病気があふれているのです。かつて、村ではさまざまな野菜を収穫していました。一般の習慣では、天然の肥料、つまり牛糞という形態の肥料が、植物に施されていました。オクラやキュウリといったものを自然な状態で収穫することができました。大きさは小さかったかもしれませんが、含まれている栄養素は豊富でした。
 
 
あるいは、赤唐辛子を例にとってみましょう。赤唐辛子は、小さくても一本あれば、鍋いっぱいのサンバルに香りを添えるのに十分でした。今、赤唐辛子は釣り合いを失って膨れ上がり、巨大な、大きな赤唐辛子になっているのを目にします。人はそうした赤唐辛子を大量に手に入れて、小さなカップ一杯のラッサムに入れています。それでも、赤唐辛子の風味を味わうことができずにいます! その理由は何でしょう? 赤唐辛子は今、人工の肥料で栽培されており、本来持っているべき固有の力を実際には備えていないからです。
 
 
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村と都会を比べてみると、都会の住人より村人たちのほうがずっと病気が少ないのです。というのは、都市や町に住んでいる人たちは、きれいな空気を吸えず、清浄な水を手に入れられず、食べるべき清浄な食物を得られていないからです。都市の住人が持つ外見的なイメージは確かに健全なものです。しかし、実際に差し出されているのは、害のある物なのです。
 
 
現在の化学肥料は欠陥だらけです。その結果、皆さんは数多くの癌の症例や心臓疾患を目にしているのです。
 
 
今日まで、癌の治癒を考えついた医者は誰一人いません。癌の原因は何でしょう? キンマの葉を食べることが原因だという人がいるかもしれません。癌はビーディー〔インドの手巻き煙草〕や煙草を吸うことが直接の結果だという人々もいます。さらには、周りの空気が汚れているから癌になるのだと言う人もいるかもしれません。要するに、理解しなければならないことは、限られた範囲内においては、これらの要因はいくらかはその一因となり得るだろうということです。しかし、これらは癌の主な原因ではありません。
 
 
癌の主な原因は砂糖です。市販の砂糖を作る際、製造過程において、骨粉等、多くの化学処理された物質が使われています。そうした物質は、砂糖を摂取していくうちに、体内のどこかに詰まって、問題を生じさせます。人は白血球と赤血球という二種類の血球を有していますが、白血球が詰まって、特定の部分をふさぎ、それが癌へと成長することがあり得るのです。それをグルコーマと呼んでいる人たちもいます。このグルコーマが癌に手を貸している主な要因です。このグルコーマが砂糖という化学製品のようなものの主な問題です。
 
 
水、空気、公害、喫煙――これらは主要因とはなり得ません。主要因は砂糖です。古きよき時代、砂糖はどういった形で食されていましたか? 今のような人工的で合成されたものではなく、健康的な形のジャガリー(椰子糖)でした。料理に甘みをつけるときには、それが使われていました。
 
 
しかし、今日、皆さんは、自分が食べるあらゆる食べ物に、浅薄な手段が採用されていたり、人工的な物質が含まれていることを見出すでしょう。このすべては、ただ、お金を儲けるためです。人々はそのような数多くの怪しい方法を採用し、その結果、病気が増加しているのです。
 

 
 
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アレクサンドロス大王と呼ばれたギリシャの皇帝がいました。
 
 
アレクサンドロスはこの国を一度ならず征服し、きわめて強力で裕福でもありました。しかし、アレクサンドロスは自分の所有しているものに満足せず、ますます多くの国を自分のものにしたいと望みました。そのようなある時、インドへ遠征し、勝利を得て、すばらしい財宝を蓄えました。その帰途に、アレクサンドロスは恐ろしい病気にかかりました。アレクサンドロスには、自分の意のままに従う大勢の医師や、召し使いや看護兵がおり、皆、王の命令を受けて駆けつけてきました。すべての医師が集まり、一人ずつ、さらには、皆一緒になって、アレクサンドロスを診察しました。そして、医師たちは涙を流して言いました。
 
 
「もはや手の施しようがない。誰にも何一つできる可能性はない!」
 
 
人生の終わりに臨み、アレクサンドロスに偉大な悟りの夜明けが訪れました。アレクサンドロスは言いました。
 
「生きている間はわからなかったことだが、私が死んだら、この悟りをあらゆる国の、あらゆる人々に、あまねく宣言すべきである」
 
 
アレクサンドロスは大臣全員を召喚しました。
 
 
「大臣たちよ、間もなく私はこの肉体を去るであろう。私の願いに従って、おまえたちは私の葬儀を執り行わねばならない」
 
「必ずご命令に従います。ああ、王様」
 
 
と大臣たちは言いました。それから、アレクサンドロスは大臣たちに命じました。
 
 
「私の死後、私の屍、すなわち遺体をギリシャへ運ばなくてはならない。その際、私の両手を除いた全身をすっかり白い布で包むのだ。両手は皆に見えるように高く掲げよ」
 
 
大臣たちは言いました。
 
 
「しかし王様、それは我々の習慣と伝統に反しています。国民が、”なぜそんなことをするのですか? なぜ王様の両手をそんなふうに掲げているのですか?”と尋ねたら、私たちは何と答えればよいのでしょうか?」
 
 
すると、アレクサンドロスは息を引き取る前に遺言を残しました。王は言いました。
 
 
「ここにいるのは、比肩する者なき強さを誇り、何であれ所望できる裕福な人間、ギリシャの皇帝である。しかし、彼は人生の終わりに何を携えて行くことができただろう? 何もない! 彼は何一つ携えて行くことができず、裸ひとつでこの世を去って行く! これぞ、おまえたちが我が国民に伝えなくてはならないメッセージなのだ」
 
 
ところが、人は今何をしているでしょう? 文字通り、富のために時間とエネルギーを無駄にし浪費しています。
 
 
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健康を守り、保護するために、私たちはいくつかの場所に病院を建てました。しかし、次のような疑いに駆られる人がいるかもしれません。
 
 
「ここに、神ご自身の力により、神ご自身の奇跡により、あらゆる人の病を治せるスワミがいらっしゃる。それなのに、なぜ病院を建設するのだろう?」
 
*スワミ → インドで高僧をさす(ここではサイババ)
 
 
普通、感じていることは外側に反映されます。スワミのヴィブーティ〔神聖灰〕に絶対かつ完全な信仰を抱く人は、ヴィブーティを飲めば治るかもしれません。しかし、病院でのみ入手できる医療という形態に、きわめて強い信仰を抱いている人もいるでしょう。また、軽い病気や疾患に苦しめられている人々もおり、そのような人たちは医師の助けを求めて、治してもらうことが可能です。たとえば、風邪を引き、咳が出ると、皆さんは即座に手を合わせて祈ります。
 
 
「ああ、サイババ様、私の風邪を治してください。私の咳を治してください!」
 
 
皆さんが治してほしいと祈り続けていることは、このように、すべて無意味で、完全に筋違いなことのように見えます。そのような軽度のものは、医者に行って取り除くべきです。
 
 
素朴な村人が大勢いますが、彼らは憂慮するほど病気が重くなるまで、自分が病気にかかっていることにさえ気づきません。そのような人々のために、私は町や都市ではなく、町外れや村や、他の外れた場所に病院を建設したのです。この奉仕は、そうしたきわめて素朴な村人たちに提供されなくてはなりません。村人たちの多くは、自分が苦しんでいる病気の原因を知らず、無知ゆえに、ただ病気を重くし続けています。残念なことに、何が良くないかを村人たちに教える人は誰もおらず、村人たちを診察してわずらっているのは病気であるということを教える人もいないのです。
 
*サイババが建設した病院はどんな高度な治療でもすべて無料である。
*サイババの教え「水・教育・医療はすべて無料で提供されなければならない」
 
 
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ホワイトフィールドに建てられた病院〔1976年にできたサティヤ・サイ総合病院(ジェネラル・ホスピタル)〕を例にとりましょう。あの病院は、近隣の村人たちにとって途方もない安堵となっています。私たちの医療はすべて無料です。村人たちは一銭のお金も払う必要なく、何であれ欲しいものを要求すれば、それは彼らのものです。
 
 
確かに、これらの病院で働いている医師たちは非常に幸運であると言わなければなりません。ホワイトフィールドにある病院では、ラージェーシュワリー医師が多くの時間を費やして労力を惜しまずに働いています。また彼女の同僚や看護師たち、他の医師たちも、ラージェーシュワリー医師に支援の手を差し伸べ、愛と情愛を込めて、素朴な田舎の人々に奉仕をしています。
 
 
これらの人々は敬虔な信者であるため、何も請求しません。1パイサすら受け取りません。ここプッタパルティでも、ホワイトフィールドでも、〔総合病院の〕医師たちはそれを自分たちがサティヤ・サイ・ババに捧げ得る奉仕だと感じているため、誰も報酬を受け取っていません。スリランカやウッタル・プラデーシュ州、その他さまざまな出身地の医師たちが、愛ゆえにここへ来て、この場所とスワミに敬意の念を抱き、奉仕の精神に突き動かされて働いています。
 
 
安心を求めて、遠くからも近くからも人々が訪れるため、私たちはここに百床以上のベッドを備えた新しい病院〔プラシャーンティ・ニラヤムに現存するサティヤ・サイ総合病院〕を建設中です。また、癌や心臓病のような病気を発見する検査を行うための最新式の設備と機器、レントゲン機械、その他、さまざまな精巧な医療機器が導入される予定です。
 
※このような病院は寄付によってすべてまかなわれてる。ハードロックカフェの創業者アイザック・ティグレットも自社株を売却して100億円以上の大金をサイババの財団に寄付した
 
 
これは、広く人類に奉仕する一つの方法であるだけでなく、医師たちが自らの力量を十分発揮することのできる媒体でもあります。この医師たちは普通の人ではありません。彼らはナーラーヤナ神そのものである、と言うことができます。なぜなら、彼らの手は、体を治して維持させる力と能力を備えているからです。しかし、ラージェーシュワリー医師は、自分たちはサティヤ・サイ・ババの手の中にある単なる道具にすぎず、サイ・ババこそが神聖な医師である、と述べました。けれども、そう言うのであれば、それは心に神を据えて、そこから先は自分の手にやらせているということです。なぜなら、あなたには両手という道具があり、それと同時にサティヤ・サイ・ババも力と必要な能力をあなたに与えるからです。この世では、世界が今日のような状況であるために、私(サイババ)は医師たちが奉仕と犠牲の精神よって突き動かされ、それにより、できる限り早く、病気による死を減らし終わらせることができるよう望んでいます。
 
*ナーラーヤナ神(ヒンドゥーの最高神、この宇宙を維持する役目を果たしている)
 
 
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愛の化身である皆さん、
 
私がこれまで話してきたことの要点は何でしょう?
 
 
第一に、健康は最も重要なものであるということ。第二にそれは何のため、誰のためか? ということです。それは皆さんがアートマ〔真我〕のアーナンダ〔至福〕を体験できるように、です。自分は誰なのか、自分の実体を理解するよう努めなさい。もし自分が誰であるかを理解できないのなら、この世で生きていても何の役に立つでしょう?
 
 
この世のものと、この世を超越しているものとを区別してはなりません。あなたは二つを一つにし、自分の本性を悟って、神聖なアーナンダを体験しなくてはならないということに気づきなさい。そしてさらに、人間に与えられているもの、すなわち愛を体験しなくてはならないということに。
 
 
狭量な心や、狭い了見に余地を与えてはなりません。他者を傷つけず、害さない方法で身を処するよう努めなさい。そうして初めて、あなたは自分自身と自分の存在を神聖化することができるでしょう。
 
 
日付:1983年10月8日・場所:プラシャーンティ ニラヤム
ホスピタル・デー〔サティヤ・サイ総合病院周年記念日〕の御講話より
 
翻訳:サティヤ・サイ出版協会・出典:[MP3] d_19831008.mp3
 
(C)Sathya Sai Organization Japan 2012 (C)Sathya Sai Publications 2012

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ABOUTこの記事をかいた人

カウンセラー・ライター・ブログ講師・ブロガー・催眠術士   iPhone7plusとMacBookPro11を持ってカフェや旅に出かけたり、インドの聖地巡りをしている。   野菜・穀物・果物・ときどきお菓子で生きる偏食な暮らし。宇宙の真理と気持ちのイイ生き方を追求している。