ハリウッドで監督デビューした紀里谷和明氏のイベントで得た生き方のヒント。

  • 2015年10月28日
  • 2015年10月29日
  • MOVIE

紀里谷和明さんがハリウッドに進出してはじめての監督&プロデュース作品「ラスト・ナイツ」の公開にさきがけて、銀座のアップルストアで行われたトークイベントに参加してきました!
 
 
いやいやマジでかなり刺激的な話をいろいろと聞くことができました!映画製作の秘話、現場の苦労話、そして監督の人生観、さらには宇宙観まで..
 
というわけで、イベントに参加できなかった皆さんのために監督の話をわかりやすくまとめてみました。
 

映画ラスト・ナイツの監督兼プロデューサー紀里谷和明さんが人生に大切なことを教えてくれた

銀座

東京は銀座のどまんなかにある林檎ビル、アップルストアで行われた紀里谷和明監督のトークイベント。この日の3日前、不調のiPhone5Sを修理しに行った時に見かけたイベントの告知..
 
 
10年以上前に監督の存在を知って僕(@ka__zz)と名前が同じことで縁を感じ、それ以降ニュースやtwitterなどで発信される情報をチェックしていたこともあり、直に話をうかがえる機会など後にも先にも無いだろう!
 
ということでこの日群馬からはるばる銀座へのぼってきました。
 
 
紀里谷和明

紀里谷和明監督プロフィール

1968年、熊本県生まれ。15歳の時に単身渡米し、マサチューセッツ州にある全米有数のアートスクールでデザイン、音楽、絵画、写真などを学び、パーソンズ美術大学では建築を学んだ。ニューヨーク在住時の1990年代半ばに写真家として活動を開始。
 
その後、数多くのミュージック・ビデオを制作し、才気あふれる映像クリエイターとして脚光を浴びる一方、CM、広告、雑誌のアートディレクションも手がける。TVアニメ「新造人間キャシャーン」を斬新なヴィジュアル感覚で実写映画化したSFアクション『CASSHERN』(04)で映画監督デビュー。
 
続いて戦国の世を舞台にしながらも、時代劇の枠に収まらない奇想天外なアドベンチャー活劇『GOEMON』(08)を発表した。監督第3作『ラスト・ナイツ』でハリウッド・デビューを果たした。
 
出典:先に進むにはやるしかない、紀里谷和明監督が語る「『ラスト・ナイツ』の作り方」|もう監督を辞めようと思った極寒プラハの撮影現場でモーガン・フリーマンに言われたこと – 骰子の眼 – webDICE

 
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映画を予算内におさめるための苦労

映画製作については、予算だとかスタッフのマネジメントだとか期日だとか、現実的でリアルな現場の様子を話してくれました。
 
僕らがイメージしているメガホンを持って椅子にすわっている映画監督の仕事と、紀里谷さんが話をしてくれた監督の仕事はまったくの別物で、例えるなら会社の社長に近い、それも中小企業の。
 
例えば映画制作には予算があって、制作費を管理するのも監督の仕事(今回はプロデューサーも兼ねている)で、僕らがふだん目にしている何十億円という大作映画の制作費があっても、かなり厳しく管理をしています。
 
わかりやすい具体例でいうと横浜で100人のスタッフを抱えてロケをした時に、東京へ帰るための終電に間に合わなければ1人1万円のタクシー代を支給しなければならなくなり、それだけで100万円が消えていく。だから、スケジュールをしっかりと管理して、少しでも余計な出費が出ないように徹底しているということ。
 
ロケ弁(ロケで出るお弁当)も1食あたり100円安くなれば、(クランクインからクランクアップまでの日数×スタッフの人数)×100円が節約できる..
 
資金繰りが足りなくなれば、大切なシーンをカットしてくれと要求されてしまう。
 
ハリウッドでもそれは同じで、紀里谷監督は細部にわたるまで厳しく予算を管理をしているということです。
 
 
▼このインタビュー記事は必見。かなり読み応えあり!

紀里谷和明

必要なことはスタートしてから学ぶ

今回のイベントで、いちばんガツンてきた話は、紀里谷監督の生きるスタイルに関すること。
 
監督は若い頃から、何か物事を成しとげよう!という時は、それを学んでからではなく「まず始める」そして問題が出たらそこで学んでまた動く..その繰り返し。
 
僕らは何かをやろうとする時に、ついつい臆病になって「準備をする」という言い訳を自分にして、必要以上に学んでしまい結局はタイミングを逃したりすることがよくあります。
 
地元熊本の中学校を2年で中退後、15歳でアメリカに渡って向こうのハイスクールと大学に入り、ニューヨークで写真家そして映像作家..映画監督、ハリウッドデビューという破天荒でスケールの大きな人生。
 
それを実現させている大きな要因が「必要なことはスタートしてから学ぶ」という生き方です。
 
 

自分の真意をちゃんと伝えて相手の真意もしっかりと聞く

監督のコミュケーションの極意はこの「自分が相手に伝えたいことはちゃんと相手が理解してくれるまで話をする」それと「相手の意図や真意をちゃんと聞いて自分が理解する」この2つを映画の現場でも他の仕事でも実践しているということ。
 
例えば、メディアが監督に対して批判的な記事を書いた時に、なぜそのライターはその内容を書いたのか?ここを相手に聞くことで争うのではなく、双方が理解をするということが大切。
 
相手との間に誤解がある状態はしっかりと話しをして解決をしていくべき。
 
 
紀里谷和明

悪天候も後から振り返ると必要だったことだと思える

もうひとつ印象に残った話が、映画のロケは屋外であるために天候によって予定通りに行かないことがよくあって、けれども後になって振り返ると、あの時は雨が降って困ったけど雨が降ってよかったんだ、あの時は大変だったけど嵐が来てよかったんだ、と思えるというのです。
 
これは、単なるこじつけだったり無理やり意味を持たせているというレベルの話ではなくて、監督が写真や映像を撮ったり大規模なスタッフを指揮をして映画を作ったりしながら「これでよかった」と確信として話してくれているように感じます。
 
さらに深く監督の話を読めば「撮影にも人生にも何か見えないチカラが作用している」ということを、僕らオーディエンスに伝えたいのではないかと思います。
 

映画「ラスト・ナイツ」について

 
ラストナイツ

江戸時代に起きた赤穂浅野家の浪士四十七名が吉良上野介の屋敷に討ち入りした事件。あまりにも有名な忠臣蔵を紀里谷監督がハリウッドで映画化したのが「ラスト・ナイツ」です。
 
日本的価値観と言ってもいい忠義のココロを、大胆なアレンジと美しい映像と爽快なアクションで表現しています。
 

あらすじ

狡猾(こうかつ)な政治家が台頭し、戦士たちが追いやられようとしている帝国。ある日、強欲な大臣から賄賂を要求されるも、それを断った上に彼に刀を向けたバルトーク卿(モーガン・フリーマン)が反逆罪に問われるという事件が起きる。
 
その後死刑判決が下され、自身のまな弟子であった騎士ライデン(クライヴ・オーウェン)の手で斬首されてしまう。1年後、ライデンは酒に溺れる毎日を送り、ほかの騎士たちも刀を捨てていた。
 
だが、その裏で彼らは主君バルトークの敵を討ち、堕落した権力者たちへ報復する計画を進めていた。
 
出典:シネマトゥデイ
 
映画「ラスト・ナイツ」公式ページ
 
 

気が早い話ですが、もうすでに次作の制作も進行しているようで、これからの監督の活躍が楽しみでなりません。
 
監督の話で一貫していることは、自分を信じきっていること。そして自分の未来をリアルに壮大にイメージできていること。
 
 
紀里谷和明

僕(@ka__zz)的あとがき

 
芸術家が放つ独特の緊張感、それとは別におどろくほど気さくで優しいオーラをまとった紀里谷監督。実は映画の話よりも監督の人柄のほうにインパクトがあって大きな感銘を受けました。
 
人としての魅力がハンパない!
 
そんな監督が、この映画の撮影中に疲労とプレッシャーの極限状態でこれを最後に映画を撮るのを辞めよう、と思ったことがあったそうです。
 
その時、主演した名優モーガン・フリーマンから「僕はいろんな監督とたくさん仕事をしたことがあるけれど、君はそのなかでもトップクラスの監督に匹敵するよ」と言われ踏みとどまったエピソードがあるのですが、きっとモーガンも監督の人柄を見通していたのでしょう。
 
 

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それでは皆さん、よい一日を!
 
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