お彼岸は、悟りの境地に達するための修行をする日だった件。

ケーキやパフェも美味しいですが、和菓子のほうが大好きな僕(@ka__zz)です、ごきげんよう。

ちなみに好きな和菓子ベスト5を発表しますと、5位 わらび餅、4位 カステラ、3位 大福、2位 どら焼き、1位 おはぎ・・・ということで、ちょうど今日はお彼岸なので、おはぎを食べたいと思います。

ではなく・・・お彼岸の意味が気になって調べてみたところ、”悟り”に関連していたのです!

そうです、紀元前5世紀に生きたシッダールタ(のちのブッダ・お釈迦様)が、苦行の末に、苦行では悟れないことを悟り、その後スジャータから乳粥をほどこされ、深い瞑想の果てに到達した悟りの境地のことが”彼岸”です。

 

お彼岸の意味は悟りに達た境地のこと。

yogananda
覚醒したインドの偉大な聖者パラマハンサ・ヨガナンダ。
ほとんどの人にとってお彼岸とは?

・春と秋にお墓まいりをする日
・おはぎを食べる日

だと思いますし、僕もこの記事を書くために色々調べるまで、お墓まいり&おはぎの日でした。

そもそも、お彼岸にお墓まいりをしない人もたくさんいるのではないでしょうか?さらに言えば、お彼岸てなに?お墓まいりとかするの?って人もなかにはいるでしょう。

僕が知るかぎり、人生で安定した成功(仕事+プライベート)を収めている人は、もれなくお墓、つまりご先祖さまを大事に扱っています。お墓まいりをしていない人ほど、不安定(仕事もプライベートも精神も)な暮らしをしている傾向にあります。

それは余談として、僕たちが生きているこの世界を此岸(しがん)、仏(神)が住んでいる世界を彼岸と言いますから、ブッダのように覚醒をした者は、この世で生きていながら、絶えず意識が神とつながり、僕たちの理解をはるかに超えた世界を体験しているのです。

僕らが死んだあと、三途の川を渡った先が彼岸であるという説もありますが、個人的な意見としてそれは違うと考えています。三途の川を渡ると、そこはまだ未熟な僕たちが滞在する幽界という場所で、神や仏がいる世界は、そこから遥か上の世界です。

パラマハンサ・ヨガナンダによると、わりと優秀な魂でさえ、悟りを開くためには、最低でも100万年の輪廻転生を繰り返す必要があると説いています。
 

▼全人類が読んで欲しい人類の至宝ともいえるヨガナンダの自叙伝

 
さてさて・・・

彼岸=覚醒した世界という意味であるなら、日本のお彼岸という行事はいったい何なのか?

お墓まいりをして、ご先祖さまを供養することはお彼岸という行事の一部ではありますが、すべてではないようです。仏教的な行事なのに、お彼岸という行事があるのは日本だけにしか存在しません。

つまりは、日本独自の文化で、春分の日、秋分の日付近にお彼岸があることから、太陽信仰が関連するという説があります。下記に載せる引用がとてもわかりやすいので読んでください。

極楽浄土ははるか西のかなたにあると考えられているため、太陽が真東からのぼって真西に沈んでいく、春分の日と秋分の日は我々の世界である此岸と、仏様の世界である彼岸が、最も近く通じやすくなる日であると理解されるようになりました。

出典:お坊さん便

お彼岸は西暦806年に日本で初めて行われたという記録が残っています。

悟りを強く求める古代の人々の想いによってお彼岸という行事が日本に根付いた・・

と言いたいところですが、上記にリンクしたお坊さん便にて、悟りと極楽浄土が一緒に書かれているように、自然界のチカラを借りることで、言い方は難しいですが楽して悟りを得よう・・的な発想も含まれているように思ってしまうのは、ひねくれた考えでしょうか。

いずれにしても、神様とか太陽の霊的なチカラとか、古代の日本には、見えない存在がわりと身近に感じていたことをうかがい知ることができます。

お彼岸は、悟りを得るための霊的修行プログラムが組まれている。

ガンジス川 沐浴
ガンジス河での沐浴が終わってスッキリな筆者。

お彼岸は彼岸の入りから彼岸明けまで7日間つづきます。

ウィキペディアによると・・・

彼岸(ひがん)とは、雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。

俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。

出典:ウィキペディア-彼岸

おおおおお!

なんと、先祖供養の他、悟りを得るための修行をするのがお彼岸でありますよ、俗に。

と書いてあるではありませんか!

その修行を仏教用語で波羅蜜(ぱらみつ)と言いまして、サンスクリット語のपारमिता-パーラミターからきています。意味は・・・仏教において迷いの世界から悟りの世界へ至ること、および、そのために行う修行です。

これってまさしくヨガじゃないですか。

ヨガの語源は、神&宇宙との合一です。

一般的に行われている体操はハタヨガと言って、ポーズをとりながら呼吸法を行い、悟りへの道のりの肉体的アプローチのひとつです。お彼岸で行われる修行は、心を鍛える愛と献身のバクティヨガに近いものがあります。
 

お彼岸の7日間で行われる悟りの境地に達するための修行方法とは?

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西インドの砂漠のオアシスにある寺院でご祈祷を授かる筆者

さあ、ここからがこの記事の本番です。

お墓まいりとおはぎを食べる以外に、お彼岸は悟りを得るための修行期間であったことがわかりました。悟りとは・・宇宙、神とひとつになることを言います。ニルヴァーナとかサマディとか、成仏とか涅槃とも言います。

悟るための修行をする期間がお彼岸で、7日間のうち6日間を修行にあてます。

中日に先祖供養とおはぎを食べる日です。

その修行が六波羅蜜(ろくはらみつ)で、ひとつずつ簡単に解説しましょう。

1.布施波羅蜜 – (Dāna ダーナ ほどこす)

見返りを求めないで人のために惜しみなく何か善いことをします。評価や褒められることをいっさい手放します。布施行は物質だけではなく、知識や教えを与える、明るく優しい顔で接する、温かい言葉をかける、何かをお手伝いする、相手の善い行いをほめる・・などがあります。

夫のことを「うちの旦那」というのは、サンスクリット語のダーナからきています。夫は奥さんと家族に上記のような施しをすることから、旦那と呼ばれるようになりました。

2.持戒波羅蜜 – (Śīla シーラ つつしむ)

ルールと規律を守った生き方をします。自分勝手なふるまいを控え、互いに相手のことを考えながら、仲良くゆずりあい、助けあうことです。自分のことをいちばん大事にして、相手のことも同じくらい大事にします。

早寝早起きをする、挨拶をする、後片付けをする、生き物を殺さない、嘘をつかない・・など、人として当たり前のことを当たり前にするのが持戒の修行です。

3.忍辱波羅蜜 – (Kṣānti クシャーンティ しのぶ)

耐え忍ぶこと、我慢すること。悲しいことや辛いことがあっても、落ち込まないで頑張ることです。カリカリしたりイライラしたり、悲しんだりいじけたりするのは人間だから仕方ありませんが、そこに執着してはいけません。すぐに手放して、なんで嫌なことが起きたのだろう?と深く考えます。

嫌なできごとは、すべて神様と宇宙からのヒントです。あなたが楽になるために、幸福になるために、目の前の人が嫌なできごとを与えてくれているのです。

4.精進波羅蜜 – (Vīrya ヴィーリヤ はげむ)

最善をつくして努力することです。自分ができること、自分が持っている知識、知恵、経験を使って、人のために、世の中のために一生懸命に働くことです。良い結果が得られても、それにおごらず、さらに向上心を持って継続することです。

ダメな結果だったとしても、改善、改良をしてあきらめずに、くじけずに前進することです。

5.禅定波羅蜜 – (Dhyāna ディヤーナ しずめる)

心を落ち着けて動揺しないことです。どんな場面でも心を平静に保ち、雰囲気に流されないことです。人は感情の動物ですから、イライラしたり、怒ったり、悲しんだり、興奮したりします。そんな時、人は自分を見失い、嘘の姿に変わり、大きなトラブルの原因になります。

他人やお金、そして自分の感情に惑わされることなく、いつでも心を静かに保つのに有効なのが瞑想や呼吸法です。感情が乱れたらそっと目を閉じるだけでも自分に戻れるでしょう。

6.般若波羅蜜 – Prajñā プラジュニャー まなぶ)

一般的には真理を見極めること、と言われています。しかし、そうなるには絶え間ない修行によって悟りに到達しなければ、真理や叡智を得ることはできません。そのために、僕たちは学びと修行が必要です。悟りに向かおうとしたら、あなたにとっての先生を見つける必要があります。

悟りに達した人から直接学ぶことがいちばんの方法です。しかし、なかなか出会えることはできませんから、出会えるように祈りましょう。それまでは、真に悟った人の本を読みましょう。
 

▼宇宙の真理を、こどもでもわかる言葉で話すインドの聖者ラーマクリシュナの本

 
▼ラーマ・クリシュナの弟子スワミ・ヴィヴェーカーナンダの名著
 
▼漫画で宇宙の真理を学ぶことができる手塚治虫の名作

お彼岸の意味から見えてくる僕たちが悟れる方法。

お彼岸の意味を調べてみると、「心の修行」であったことがわかりました。

お彼岸という言葉自体が悟りの意味を持つことからも、はるか昔から僕たちの生活のなかに、”悟り”という概念がとけこんでいたことがわかります。

お彼岸になぜおはぎを食べるのか?

*春のお彼岸に食べるのがぼたもち(牡丹)、秋のお彼岸がおはぎ(萩)でおなじ食べ物です。

その意味を僕(@ka__zz)なりに考えてみると・・心の修行をすることは、とにかく精神的に疲れます。疲れた時に甘いモノを食べたくなるのは今も昔も同じです。精神修行をがんばった自分ご褒美として、おはぎを食べる・・そんな習慣ができたのでしょう。

ブッダが身を以て体験したように、苦行だけで人間は悟りに到達できません。

かと言って、惰性で日常をすごしているだけでも人は進歩も成長もできません。

僕たちは修行僧ではなく、一般人としてこの世界に生まれました。

ヒマラヤの山奥やインドのアシュラムではなく、いつもの仕事と日常生活こそが、僕たちが修行をするフィールドです。夫婦や家族関係、会社での人間関係、満員電車のなか、カフェやコンビニの店員さんとのやりとり・・・などなど、ありとあらゆる場面で、僕たちは神様から試されています。

仏教の難しい教え(六波羅蜜)を、インドの大聖者ラーマ・クリシュナのように子供でも理解できる言葉にすると・・・

「自分を大切にして、人も大切にして、がっつり働くこと」

シンプルにそれだけを実践するだけでも、僕たちは大きく成長できます。

悟りとか、覚醒するための修行をしていなくても、日々、何かに熱中してコツコツと努力している人を、宇宙が悟りの世界へ導いてくれるでしょう。
 

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ブッダが修行をした街ブッダガヤにて。
 
それでは皆さん、よい一日を!

Have a good day!

and God bless you!!

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