ヨガ yoga 用賀

ॐ用賀の語源はヨガであると世田谷区の公式サイトに書いてある件。

ヨガ yoga 用賀

2ヶ月に一度だけ荻窪にある友永ヨガに通っている僕(@ka__zz)です!

先日、何気にテレビを観ていたら、オレたちひょうきん族の頃とはすっかり変わり果てた片岡鶴太郎さんが出ていました。

僕が知っている鶴太郎さんは、さんまさんやタケシさんたち主役を盛り上げる粋のよい若手芸人さんで、当時はアタマにバンダナをして近藤真彦さんのモノマネをしていた記憶があります。

それが今では誰もが驚くくらいのヨギ(ヨガを行ずる者)になっているではありませんか!

さらに驚いたのが、世田谷の用賀が『ヨガ』からきているという嘘のような本当の話でした!
 

世田谷区の用賀の語源はヨガであるという嘘のような本当の話。

僕も仕事で利用している田園都市線には用賀という駅があります。
 
用賀の地名の由来がヨーガ。
 
これはダジャレでも何でもなくて、古来のインドから伝わるヨガがそのまま地名になったという。
 

さてと😃 #用賀 #世田谷 #tokyo #JAPAN

雅さん(@miyabinoteiri)がシェアした投稿 –


 
とりあえずテレビが言うことだし、半分信じられなかったのでググってみました・・
 
色々と情報が出てくるではありませんか。
 
その中でいちばん目を引いたのが世田谷区の公式ページです!
 
こういった情報って都市伝説的な話が多いので、自治体のサイト、しかも地名の由来についてのページにちゃんと記載があるってことは、信憑性が高いということですよね。
 
世田谷区の公式サイトには、用賀の地名の由来についてこのように書いてあります。

鎌倉時代の初期に勢田郷にユガ(梵語)の道場が開設されて、後にこの地が真福寺の所有する所となったことから、このユガがヨーガになったのではないかと言われている。

出典:世田谷区公式ページ

鎌倉時代にヨガ道場があったから用賀という地名になった。

鎌倉時代といえば西暦1192年だから、今から900年も前の話になります。
 
そんな遥か昔にヨガが日本に伝わっていたのか!
 
とびっくりしたのですが、実はもっと昔に伝わっていたようです。
 
それが西暦538年の仏教伝来の時、仏教と一緒にヨガも日本に伝わったそうです。
 
これについてもっと詳しく書いてある素晴らしい記事があったので引用させてもらいました。

用賀 と呼ばれている地には、平安時代末期から鎌倉時代初期、勢田郷の原野に真言秘密の瑜伽(ゆが)の道場が開設されていたとされます。瑜伽とは、サンスクリット(梵語)のヨーガ(yoga)を漢字に音写したものです。

当時のヨーガは現在の体操中心のヨーガとは異なり、瞑想中心の仏教の修行法でした。その瑜伽が転じて、後に「用賀」の地名となったそうです。その土地はその後、真福寺の土地となり、実相山真福寺の山号は昭和二十年代頃からは瑜伽山となったようです。(日本へのヨーガの伝来)

「梵語Yoga(瑜伽)=相應(そうおう)・・・三密の瑜伽を宗と密教即ち真言宗を一に瑜伽宗ともいふのである。・・・ 真言宗が『大日經』を根本經とするからである。こうした観点からして、この用賀に新義真言宗の実相山真如院と号する真福寺があることに想到すれば、用賀 は、梵語 Yoga 即ち瑜伽の假借による命名であることが首肯されると思ふ」(『日本地名学研究』中島利一郎著)

出典:ヴェーダセンター

 
このサイトにも書いてありますが、本来のヨガは、一般的に広まっている体操やポーズをとるヨガのことではなくて、インド古来より伝承された「神との意識的合一を得るための科学」を意味しており、瞑想を中心とした修行だったと推測されます。

ヨガの語源と本来の意味は、人間が神の意識と一体となること。

インドのヨガマスター。上がパラマハンサ・ヨガナンダ。左下がババジ、真ん中がスリ・ユクテスワ、左右がラヒリ・マハサヤ。

ヨガの語源は”一体になる”,”つながる”
 
つまり、僕たち人間が悟りをひらき、神的存在に戻るための再現可能なノウハウがヨガなんです。鎌倉時代、世田谷の地にあったヨガ道場では、瞑想を中心にインドの英智ヴェーダを教えていたと推測されます。
 


 
ちなみに、個人的にはヨガの語源”一体になる”,”つながる”は誤りで、“すでに一体になっていたことに気づく”,”すでにつながっていたことに気づく”ほうが本質に近いのかと思います。
 
 
さあ、ここで疑問が湧いてくるのが、鎌倉時代という大昔なのに、いったい誰が日本でヨガを教えていたんだよ?
 
って思いますよね。
 
これについてもヴェーダセンターの記事から引用させていただきます。

538年の仏教公式伝来の際には、仏教の修行法としてヨーガが伝えられたようです(修行法の内容は不明)。8世紀、南インド出身の仏僧ボーディ・セーナ(東大寺の開眼供養の導師として有名)が、インド直伝のヨーガを日本にもたらしました。

7~9世紀においては、鑑真和尚や空海が仏教ヨーガを実践していたことが知られています。特に空海は真言密教(ヨガ・タントラ)を伝え、マントラを使用したヨガ瞑想が伝わりました。

ヴェーダセンター

上記のように、8世紀にはインド人の僧侶が日本に来て、東大寺で儀式をしていたと記録に残っています。
 
空海は、修行時代に中国でインドの聖者から直接ヨガを教わっていたのは有名な話です。

遥か昔からインド人の僧侶は日本を訪れていた。

幣立神宮

さらに、僕が参拝した熊本の幣立神宮には、およそ3000年にインドの僧侶がこの地で修行をしたという伝説がありました。上の写真がその立て札で、伝説とはいえ実際にこの地を訪れてみると、とても神秘的なエネルギーに満ちていて、インドのお坊さんが熊本の山奥へ導かれたのも、納得がいってしまうのです。
 
話が少しそれましたが、このようにインドのお坊さんは大昔から日本に来ており、鎌倉時代に世田谷でヨガ道場があったという話も、別に不思議なことではありません。
 
むしろ、当時の日本は仏教文化が花盛りでしたから、世田谷だけでなく、日本のあちこちにヨガ道場があったと推測されます。そしてヨガが用賀という地名になったということは、この地でヨガを教えていた先生はとても影響力がある人だったのかもしれません。

ヨガが用賀になった以外にも日本語になったインドの言葉サンスクリット語(梵語)

最後に、ヨガが用賀になったように、古来インドの言葉サンスクリット語が日本語になった例をいくつかあげておきます。
 
・旦那(だんな)→ダーナ(施す人の意味)
・琵琶(びわ)→ヴィーナー(弁財天が持っている楽器)
・卒塔婆(そとば)→ストゥーパ(インドの寺院にある塔)
・魔(ま)→マーラ(死に至らしめるもの)
・瓦(かわら)→カパーラ(鉢、頭蓋骨)
・夜叉(やしゃ)→ヤクシャ(インドの神話に登場する鬼神)
 
などなど、ヨガ→用賀と同じように日本語に溶け込んで使われているサンスクリット語でした。
 

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